境界に関する考察

物事に理由を求めてしまう性格は、面倒くさいと思いつつもまあ性格なのでそう簡単には変わらないものです。

「性」がつく言葉って、だいたい簡単には変わらないものばかりです。むしろ変えるのが不可能だったりもします。

性別。性質。感性。個性。習性。知性。天性。品性。本性。性癖。性分。根性 。

そしてこの言葉たちは善悪の尺度で測れるものではなく、ただ「そうである」だけのものなので、正確に言うと「性格が悪い」という表現は成立しなくて、ある性格とある性格がマッチしてるかどうか、マッチしていない場合、相手の性格が「悪い」と思いこんでしまっているだけなんですよね。

なのでもしも万が一「性格悪いよね〜」なんて言われてしまった時には「性格は良い悪いではなくて合うか合わないかですよ。「性」がつく言葉に良い悪いで測れるものがありますか?『性別悪いよね〜』って言いますか?」って言い返しましょう。性格の悪さを露呈できます。

前置きが長すぎて疲れた。理由を求める性格の話でした。

うっすら、小数点レベルで、でもずっと思ってることってありませんか?僕、マンションの1階に住んでるんですけど、ベランダにいる時、前に人が通ると、なんか気まずいというか、恥ずかしいというか、そんな気分になるんですよね。しかしながら外にいる時には、ベランダから1mも離れてない場所であっても、誰かが側を通っても別になんとも思わないんですよ。歩数でいうと2歩程度の距離の違いなのに、人が通ることに対して、なぜこんなにも抱く気持ちが違うのか。ってずーっと思ってたんですよね。

これ、「わかるー!」ってなります?「あるある」なのか、「わたしだけ?」なのか、想像つかないんですが、理由を僕なりに考えてみました。

それは「ゾーンの意識」から来るのではないでしょうか。おそらくみんな、無意識的に境界を作って自分がいる場所全てをゾーニングしているんだと思います。

そして、ベランダ。ベランダは外ではあるけれど、家の範囲内でもある。ゾーンとゾーンの境界なんですよね。

英語にそんな空間にいる人の状態を現す便利な言葉があります。「liminality」。意味を今一度調べると、「日常生活の規範から逸脱し,境界状態にある人間の不確定な状況をさす言葉」とあります。その代表的なものって、例えばビーチです。陸と海の境界域。陸であるにも関わらず、裸に近い格好でいられるのはビーチが陸でも海でもないような、曖昧な空間だからです。

そしてベランダは、プライベートとパブリックの境界域なんです。そこにいる時、プライベートの自分とパブリックの自分が交錯して、心の平衡を保ちづらくなり、そんな状態の自分を他人に見られるのが嫌なんじゃないでしょうか?

ベランダで、前に人が通る時のあの落ち着かない感じ、おそらく、それが理由なんだと思います。

ぼんやりと、でもずっと思ってることって、理由が欲しいことなんだと思うんですよね。理由を考察すると、案外合点がいくことがあるかもしれませんよね。

あー、この考察、未熟の極みではありませんように!!
おしまーい。

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